国産竹笠を編む、竹職人の技

国産網代笠、竹虎四代目(山岸義浩)


この竹笠が出来あがるのは、別誂えで托鉢笠を編んでもらった時から決まっていたのかも知れない。竹細工を扱う本人でさえ、国産か輸入品か見分けられないほど普通に流通している竹籠や竹ザルも、手頃な価格で一般ユーザーの裾野を広げてくれる事もあるし、決して悪いワケではない。ただ、竹に対して世界一の審美眼を持つのは日本人だと思う、日本の皆様に竹を手にして頂くのが一番難しい。だからこそ、本物を忘れないでもらいたいと常々考えている。


日本製竹笠六ツ目編み


柾の竹ヒゴを、緻密に網代編みした笠の裏側に補強に入れた、六ツ目編みの竹ヒゴとの対比はどうだ?ここにも、しっかりと柿渋が塗布されている。


国産竹笠天部分


笠で最初に傷むところは天部分だろう。自分もそうだが、笠を脱いで置く場合には必ず裏返すから天が床に当たってしまう。そうして長年使う内に、天の竹ヒゴに負荷がかかり折れて、穴が開いてしまう事も多い。しかし、初めからこうして籐でガッチリと留めて補強していれば心強い。


国産竹笠縁部分


今回の国産竹笠には、何か所が特筆すべき点があるけれど、その一つが縁かがりである。復刻のためのサンプルにした、自分が持っている竹笠は、もちろん日本製だけれど縁は回した竹ヒゴを籐で留めている。しかし、新しく編み上がった竹笠は、何と竹ヒゴで編み込んであるのだ。


国産竹網代笠


縁を編み込む技法は、別誂えで製作いただいた托鉢笠にも使われていた。随分前に復刻した流鏑馬笠、そして托鉢笠、竹網代笠の竹編み、伝統の技が細くてもいいので繋げていければいい。


国産五徳


五徳(ごとく)とは、笠を被る時に頭をのせる部分だ。笠は国産だけれど、五徳は輸入品という少し残念な製品を見かける事もある。ところが何とこの五徳まで匠の手作り、こだわりぬいている。


国産竹笠、竹虎四代目(山岸義浩)


さて、それでは、この圧巻の竹笠がどのように編まれているのか?竹編みは数あれど、柾の竹ヒゴを使用し、これだけ独特な形状の網代編みをする竹細工は見当たらない。ご関心のあられる方は、是非YouTube動画でご覧ください。





高いっ!?国産竹笠の隠された秘密

竹網代笠


この美しいライン、編み込み、色合いをご覧ください、念願の竹笠が完成して本当に嬉しく思っている。似たような笠は沢山輸入されているので、皆様もきっとご存知だろうし、もしかしたらお使いになられている方もいるかも知れない。しかし、姿形は同じように見えて、実は全く別物というくらい国産竹笠には竹職人の英知と技が編み込められている。


竹笠職人


流れるような職人の手さばきが延々と続く、軽くてしなやかなのに、強い風にもビクともしない頼りがいを感じる強さは、この細やかな網代編みにある。この手仕事を知るだけで国産竹笠にかける情熱と時間の量がお分かりいただけるのではないだろうか。


網代笠治具


他の竹の仕事場では見る事のない独特の治具が印象的だ。竹笠には、一閑張りの工房で見つけて、どうしても復刻したくて、竹虎ウェブサイトでもご紹介している流鏑馬笠や、自分が使いたくで製作してもらった托鉢笠など、網代編み笠の種類があるが、それぞれ決まった形に編み上げるための型がある。


柾竹ヒゴ


竹ヒゴにも、言わなければ絶対に知られない秘密が隠されている。柿渋を塗布する前の素地の竹ひごなら分かりやすいが、普通の竹細工ではめったに使う事のない柾割の竹ヒゴなのだ。一本の竹ヒゴを注視していただくと、片側の色目が濃いのがお分かりになるだろうか?濃い部分は、竹素材で一番強い表皮に近い部分で、維管束とよばれる竹繊維が密集している所だ。柾の竹ヒゴを使う事により、笠は耐久性と軽さという機能性を高めている。自分が以前から愛用している竹笠は、もちろん国産だけれど柾の竹ヒゴではないので、竹節の部分が微妙に編み目に凹凸として出ているが、この新しく作った竹笠は見事にフラットになっている。


柿渋仕上げ竹笠


「高いっ!?」とお客様からお声を頂戴している。これは自分の責任で、価格の説明が全くお伝えできていない証拠だと反省した。日本のモノ作りは、皆様が想像するよりずっと空洞化が進んでいる。竹林から、細い一本の糸、いつ切れても不思議ではないような糸で、エンドユーザーである皆様のお手元に届ける竹細工は多い。


真竹


里山の竹でさえ、満身創痍の状態で日本全国あらゆる場所から竹の嘆きが聞こえてくる。どうして、この竹を見て異様さに気づかないのか?ここ数年いつも思っている。


竹虎四代目(山岸義浩)、YOSHIHIRO YAMAGISHI


それでも竹から離れられないのは自分だ。


竹笠、竹虎四代目(山岸義浩)


誰でもない、自分が好きで被りたい。そして、同じように感じる方は日本に何人かはいるはずだ。国産の本物の竹網代笠を通して、そんな方と繋がりたい。





本物が蘇る、柾竹ヒゴの国産竹網代笠

竹網代笠治具


この蜘蛛の巣のようなモノは一体何だろうか?ほとんどの方が初めてご覧になると思うが、実はこれは国産竹網代笠製作のため専用に用意した治具と呼ばれる木製の型だ。


竹網代笠職人


上からみると円形にしか思えない型は、横から見ると三角の傘のような形になっている。この型に沿って細い竹ヒゴで編み込んで行くと、なだらかなラインも美しい竹笠が出来あがるという寸法だ。


竹網代笠職人


静かな工房で坦々と一編一編進んでいく網代の手仕事。既にこの時点で逸品の予感が漂っている。


笠用柾竹ヒゴ


厳選した良質の真竹を10月から年末にかけてのみ伐採する。9メートルもの長さの竹を切って、割って、機械も使いながら柾の竹ヒゴにしていく。


竹網代笠職人


柾の竹ヒゴは、竹の一番強度のある表皮近くから内側の部分までが一本のヒゴになる。竹ヒゴの片方、色の濃ゆく見える部分が維管束(いかんそく)という繊維の密度が濃い表皮近くになる。


竹網代笠職人


かなり形が出来あがってきて、ワクワクする。


竹笠、竹虎四代目(山岸義浩)


今回、このような竹網代笠を国産で復刻したいと考えたのにも、国産の竹串、竹割箸に共通する危機感がある。これが本当の竹笠だと、皆様にご覧いただきたい一心なのだ。





夏の終わりの竹帽子

竹帽子


今までも夏の30年ブログには何度か登場した竹帽子がある。その当時、日曜日には毎週満員だったという田舎の映画館に、この竹帽子を被っていくのが楽しみだった父の背中を追って竹細工をする職人がいた。父と同じように竹帽子を編んで使っているのを見て自分も欲しくなった。


竹帽子、竹虎四代目(山岸義浩)


ところが、当時自分が使用していた布製の帽子のサイズを見本にしているものの、竹編みは案外しっかりしていて頭に被ると当たり所によっては結構痛い。やはり、布や麦わらのようなソフトな素材とは違うから難しかった。少し手直し、また手直ししているうちに9個も帽子が出来あがった。


竹帽子


現在手元にある物を、ズラリと並べて壁に掛けているが、こんなインテリアは他にないと物凄く気に入っている。そして、その中からフィットするものを選んで愛用しているのだ。年季が入って色合いも年々良くなっていく、ちょっと贅沢な気分だ。



広島 蔦屋書店「くらしの道具市」

広島 蔦屋書店「くらしの道具市」


先日から広島にある蔦屋書店の「くらしの道具市」にてポップアップ出店させて頂いている。今年は1月の代官山T-SITE GARDEN GALLERY(代官山蔦屋書店エリア内)にっぽんの暮らし展 2023、湘南T-SITEの料理道具市に続いて三回目となっているが、実際に竹製品をお客様の手に取って見てもらえる機会はやはり嬉しい。


竹籠、竹虎四代目(山岸義浩)


竹茶碗籠のある暮らしにも詳しく書いてあるが、加工しやすく耐水性も高い竹は水回りでも大活躍していた。小さい頃の台所やリビングなど室内も竹細工だらけだった。


六ツ目籠


現代ではすっかり忘れさられている機能的で美しい道具達だが、やはり日本人のDNAには竹が生きている。このような展示の機会に、ふと触れると手作りの温かみや品質へのこだわりは、すぐに伝わると思っている。竹を知らずに入社した竹虎の若い社員が、竹を身近に感じるようになると、自然と手にして毎日の暮らしで使いだすのが良い例なのだ。


代官山蔦屋書店にあるT-SITE GARDEN GALLERYのために用意した竹籠たちの動画がある。広島の方には無いものも多いけれど、竹細工を肌で感じていただきたいので改めて掲載している、良かったらご覧ください。





本物の網代編み竹笠

浪人笠


前にもこのお客様から頂いたおハガキを掲載させてもらった事がある。まるでプロの漫画家のようなイラストに「五徳を取り付けて畑で毎日使っています、すばらしいです」と書かれているが、もちろん自分たちからすれば、お仕事にご愛用されるお客様こそ最高だ!素晴らしい!


日本では、このような自然素材で作られた笠は色々とある。しかし、この浪人笠は稲わらを使い編まれた国産だが、竹編みの笠などの多くは海外で作られたものばかりだ。日頃、竹虎本社前の国道で見かける、お遍路の方々の被るものは、もちろんそうだし、道具にこだわりのありそうな釣り人の皆様もそうだった。明らかに輸入の笠を、日本製と思い込んでいる若い職人には閉口したが、本物を見た事がないから仕方ないのだろうか?


托鉢笠、網代笠、まんじゅう笠


さて、そこで、どこを見渡しても輸入品ばかりの竹編み網代笠を、日本の真竹を使い、日本の伝統の技で復活させたいと思っている。実は、結構長い道のりだった。細かい竹ヒゴを使い円錐形に編み込む技術は国内に残っているので、まだまだ可能だと考えていたものの、ひとつ問題をクリアすれば、すぐに違う山が目の前に現れる。その繰り返しで、一つの網代笠だけが手元に残って、くすぶっていた所に救世主が登場したのだ(笑)。


もう少しお待ちください、日本の皆様が忘れている本物の網代編み竹笠をご覧頂けます。



伝統の箕が消え去ってしまう理由

伝統の箕


これは、初めての方などには少し分かりづらいかも知れないが、伝統的に製作されてきた箕の肩の部分である。根曲竹に籐が使われた箕で、実は製作が難しく伝承する職人もほとんどいないので、現在では全く見られなくなった竹細工のひとつだ。バランスよく編まれた形から、かなりの熟練の職人が作られたものだと分かる。土佐箕の職人は、箕だけでなく色々な竹籠や竹ざるも編んでいたけれど、この箕は専門でされていたのではないか?いや少なくとも、箕が一番得意だった職人さんだと思う。それくらい綺麗な出来栄えだ。


箕


しかし、よくよく近づいて見て驚いた。何と縦ヒゴに使われているのは、荷造りなどに用いられているPPバンドではないか!確かに、PPバンドを使ったクラフトなどもあるようだが、この箕は職人として長い時間を経ないと習得できる技術ではない。どうして、これだけの仕事に、不釣り合いなビニール素材を使ってしまったのか不思議だ。


桜箕(日置箕)


そこで、ここからは自分の推測だ。この伝統の箕には、元々この桜箕のように桜皮や蓬莱竹、ビワの木、カズラなど山の自然素材が使い分けられていたはずだ。それぞれ山に自生している、植物の特性を知り尽くした上で、最高の取り合わせで編まれ続けてきた逸品なのだ。


箕


ところが、それだけに複数の天然素材を、山に分け入り集めてくるのが大変な労力となる。蓬莱竹などに伐採の時期があるように、桜皮やカズラなどにも採っていい旬というものがあるから、人の都合に合わせる訳にはいかない。良質の素材を見極める眼力も必要で、職人の高齢化と共に箕の材料が手に入らなくなってくるのだ。


実際、土佐箕の場合でも竹の他にシュロ皮を使うのだが、近所の里山に多く生えているシュロの木一本でも結構苦労があった。PPバンドの箕を編まれた方も、腕は良いものの、これら多種多様な自然素材が手元になくて(今回の場合だと桜皮)、仕方なく代用品として使ったのではないだろうか?この箕が、自分に語りかけてくるものは少なくない。



土佐の山間に蓬莱竹

ホウライチク


「自由は土佐の山間より出づ」と言われるが、その高知の中山間地域は急斜面が多い。とにかく山々がそそりたって険しく、谷間を縫うように流れる川沿いに、曲がりくねって奥へ奥へと進む細い道は、遂に未舗装の道路に変わる。ガタゴト言わせながら車は埃を巻き上げながら走り続け、やがて脇の小道を下りて行く。


そこにあったのは大きな蓬莱竹(ほうらいちく)、淡竹や真竹と違って地下茎が横に伸びることがなく、根元が詰まった状態で大きくなる。高知の古老の職人はシンニョウダケとも呼ぶが、このような竹が生えていると言う事は、この山深いここにも人の暮らしがあったという事を感じる。


護岸用の蓬莱竹(チンチク)


雨が多く河川の増水に悩まされてきた地域では、護岸にこの蓬莱竹を植えている所が多い。川の流れのきつくなるカーブの所にポツリと生えていたりするから、小さい頃から不思議に思っていたけれど、実は先人がわざわ植えていたのだ。株立ちで、その場所から広がったり動く事もないので、山の境界線としても役立ってきた竹でもある。




YouTube動画でご紹介しているように、人の命や財産を守り続けてきた竹であると同時に、節間の長さとしなやかな材質から竹細工にも重宝されてきた。


桜箕、日置箕


たとえば、竹虎で桜箕としてご紹介させてもらっていた日置箕。細く取った蓬莱竹の竹ヒゴに桜皮を挟んで編み上げていくけれど、節間の長さと粘りのある性質ならではの緻密さと美しさがある。


寿司ばら


寿司バラには、孟宗竹と真竹と蓬莱竹が使われている。名前の通り、バラ寿司を作る道具だけれど、網代編みの部分には節間が長い蓬莱竹を用いるので、滑らかな編み目の上でバラ寿司も美味しく作る事ができるという訳だ。鹿児島や宮崎県で使われていた寿司バラ、今でも使っている方がおられるのだろうか?乾燥を防ぐための蓋まで付いているのだから、凄いとしか言いようがない。



スミトオシ

スミトオシ、炭篩


この編み目の粗い箕はスミトオシとか炭篩(すみふるい)と呼ばれる炭窯の職人が使う竹箕の一種である。実は炭を焼くのは大変で、高度な技術が必要とされる。熟練の炭職人でも今頃の雨が続いて湿気の多い時期には、いつものような炭が焼けないと嘆く事もある。同じ炭窯の中でも綺麗に焼けている炭もあれば、そうでない炭もあるのだが窯出しされた炭は灰や小さな破片を落とすために、このスミトオシにかけて選別しているのだ。


竹炭バラ


今ではこのような道具は作る事もないし、極一部を除いては、ほとんど見られなくなった。竹虎でも竹炭バラを選別していて最終的に一番細かい粒状のものを選り分ける時には金属製の網を使っている。


箕職人


このような箕は、かつては農作業に欠かせないものであったし四国だけでも土佐箕、伊予箕、阿波箕、讃岐箕などあって、西日本には33カ所もの産地があったそうだ。ところが需要の減少と共に急激に姿を消した原因のひとつには、竹細工の中でも作りが独特で製作が難しかった事、そもそも伝承されてきた職人が少なかった事などがある。




それだけに無くなってしまった箕にロマンを感じる人は今でもいるのではないだろうか?以前、日本の南の端は鹿児島の箕と東北宮城の竹細工が酷似している動画を撮った。関心のある方は是非ご覧いただきたい。


網代箕、竹虎四代目(山岸義浩)


必要とされ続けていたから、讃岐箕と共に最後まで残っていた土佐箕。伝統は今でもここに残されている。





虎竹の里では全員愛用者だった!?懐かしの竹編み野球帽、竹ハット、竹サンバイザー

竹帽子


竹冠の漢字の多さから、古来日本人の生活には竹が欠かせなかった事が分かる。竹を必要をしていたのは何も日本だけでない、竹の本場中国でも「可使食无肉、不可使居无竹(食事で肉がないのは許せるが、暮らしに竹がないのは許せない)」と言う言葉まである(笑)。竹の成育するアジア一帯で衣食住に渡り、それだけ様々な用途に活用されてきた竹だから、帽子なども当然のように作られていた。


竹帽子


ただ、国産で製造されていた網代編みのハット型や野球帽、あるいはサンバイザーなどは、特に若い世代の皆様でご覧になられた方は少ないと思う。自分も納屋から母が使っていた渋い色合いになった竹編み野球帽が出てくるまで、すっかり忘れていた。ところが、思い起こせば小さい頃には竹虎で仕事する大人達は、ほとんどこの竹帽子を被っていた。高知の強い日差しには、軽くて通気性がよい竹編みの帽子は欠かせなかったようだ。


竹帽子


しかし、竹帽子の製造が日本から海外に移ってしまってから、どういう理由だったのか竹網代の野球帽はパタリと見かける事がなくなった。竹ビーズのハンドバッグやベルトのように、もしかしたらブームのひとつだったのかも知れない。そう言う意味では、手間がかかり少量しか作る事のできなかったゴザ目編みの竹帽子は、今でも現役で愛用しているから息が長い。