本当は「歌は世につれ世は歌につれ」らしい(笑)、ところが自分は昔から「竹は世につれ、人のつれ」と言い続けてきた。中学生の頃、校長先生に教わった、高い山は低くなろうと、深い谷間は浅くなろうとしている、つまり何でもこの世にあるものは全て変わり続けているという事だった。
昔からずっと続いてきた竹籠だって例外ではない。使われなくなった籠は忘れ去られ無くなっていき、新しい籠が生まれて、そして少しづつ変化している。
一番の目に見える変化は籠のサイズだ。昨夜、ちょうど40年前に放映された四万十流域のテレビ番組を観ていたが、家族が15人だと話していた。今は、そんな大家族はあまり聞かなくて、お父さん、お母さんにお子様一人かお二人、都会では一人暮らしの方も多い。
だから、自分の小さい頃には大の大人が一抱えするような竹籠があったものだけれど、家族の人数が少なくなると共にサイズも小さくなってきた。まさに暮らしの中に寄り添っている竹細工たちは「竹は世につれ、人のつれ」なのだ。現代の職人の中では突出した名人が編む真竹茶碗籠も、美しさそのままに小さく使いやすくなっている。
真竹で編まれた大きな籠がある、近年このような六ツ目編みの籠は運動会で使う玉入れ籠の他にはあまり見かける事もないが、これは玉入れ籠にしては少し大きすぎるようだ。本当に稀にだけれども、背負い籠用としても、このようなサイズの六ツ目籠を作る事もあった、落ち葉籠として使われているのだ。
久しぶりの籠は玉入れ籠でも、背負い籠でもなく鶏籠と呼ばれるものだ。メジロやウグイスなど小鳥を飼っていた頃の鳥籠は、地元では「コバン」とも呼ばれて細い丸竹ヒゴで四角い形に製作されていた。これは同じ鳥でも、地鶏など大型の鶏用に丈夫に作られている。
都会に暮らす皆様でも、テレビなどで農家の庭先で鶏を遊ばせる光景をご覧になられた事があるかと思う。田舎でも今では放し飼いは少なくなりはしたものの、鶏が自由に歩き回りアチコチつついて何やら食べている様は見ていて楽しいし、鶏自身の健康にも良いのだ。
昔と違い、そもそも小さな籠ばかりなので、人でも十分に入る事のできるくらいの大きな籠は、それだけでテンションが上がる。
この目にも鮮やかな色合いの大きな籠は、メゴ笹特大皿鉢籠だ。竹や笹は国内だけでも600種類もあり、竹職人でも見分けがつかないものがあったり、呼び名が違っていたり、結構カオスなのだが、メゴ笹の呼び名も全国にオカメ笹や神楽笹をはじめとして、イッサイザサ、イナリザサ、イヨザサ、オサンダケ、カンノンザサ、チクサクザサ、ソロバンザサと様々だ。実は、それくらい日本各地にあって籠にも多用されてきた素材だと言うことだと思う。
このように密集して生えるから、護岸用として植えられる事があったし、変わった所では戦国時代のお城や砦の守りとして活用されたと伝えられる竹でもある。
こちらのYouTube動画「蘇る戦国時代?!幻のメゴ笹で城郭防衛とは?」では、そんなメゴ笹の事をお話しているので、お時間あればご覧ください。
さて、そんなメゴ笹を使った籠も今では見かける事はほとんどない。素材は身近にあるものの、一時は幻の籠だったほどの扱いの大変さや、先人から見よう見まねも含めて継承されてきた技が急速に失われてきた事が理由だ。
青々とした色合いは、素材の乾燥と共に思うより早く消えていき落ち着いた風合いになってくる。編み込みも硬く締まってくるのがメゴ笹の特徴のひとつである。
経年変色を、あまり良く思っていない人がいるが、それは逆だ。経年変色は成長であり、進化だ。メゴ笹は、このくらいの感じになってきてからが本番だと知ってもらいたい。
どこにでもあそうな菊底編みの普通の竹製、虎竹ロングゴミ箱には、同じ30センチ直径で高さが、それぞれ60センチ、45センチ、30センチの三種類がある。竹籠と言えば、誰もが思い浮かぶようなオーソドックスな編み方と、筒型の形状ではあるものの、実際探してみると意外と見当たらない。国産で、しかも虎竹となれば皆無と言っていい。
小さい頃には、仕事場でも、ご家庭でも何処ででも見られた竹籠だから、虎竹だけでなく白竹でも同じようにご用意する事にしている。竹細工は竹林が見直す時代になっているから、もしかしたら手軽なものではなくなっているかも知れない。しかし、日本人にとって竹は遠い存在では決してない、毎日の普通の暮らしの中で人と共にあるべきものだと思っている。
本物の竹籠を暮らしの中にお届けしたい、そんな思いで真竹を伐って大事に保管しながら、今年は茶碗籠を多めに編む事にした。いつもお話しさせて頂くように、真竹は全国的にテング巣病が広がって、竹の品質があまりよろしくない。そこで、昨年末から少し足を伸ばしてみたら、まだまだ素性の良い竹はあるものだから、ついつい嬉しくなって出来あがりも予定を越えてましったかも知れない。
こうして見ていても、この真竹茶碗籠は美しい。ブログをご購読の皆様の中には、もしかしたらこの籠をご愛用の方はおられないだろうか?全体の形、本体のゴザ目編み、機能的な底の竹皮を残した四ツ目編、通気性を確保する丈夫な足、若竹を丁寧に磨いて仕上げる口巻、これぞ、日本一の茶碗籠だと思う。
しかし、このような竹籠を編む事ができるのも、良質の竹が成育する竹林があってこそ。生命力の強い竹は、少し手が入らなくなると途端に密林になり、竹林は竹藪になる。
そう言えば、あの青竹細工の名人も最後の最後まで竹材にこだわっていた。他の作り手が言うように、竹林に入れなくなる時が、竹細工職人の引き際と考えられていた節がある。
さて、竹籠を使われた事のない皆様。竹がひとつあれば、いつものキッチンが見違える事を、まだご存知じない皆様。茶碗籠のエルメスで竹のある暮らしにご紹介したい気持ちです。
この白竹手付ランドリーバスケットを製作する事に決めたのは随分と前の事になる。洗濯物を入れられるような、手付きの籠はあまりないので面白いのではないかと思って少し大振りな籠をとサイズも決めた。ところが、たまたま欠品となり、新たに編んでもらった籠達を手にする機会があった。久しぶりに改めてマジマジと眺めてみて、二枚重ねになった竹ヒゴのあしらいや、丸竹を輪切りにした足部分など良く考えられている。
そして、やはりタップリ収納サイズだ(笑)。一世帯当たりの人数は減少傾向だし、仮にこのランドリーバスケットいっぱいに洗濯物が入ると重さも結構なものになりそうだから、あまりお歳を召されたご婦人には使いにくいのかも知れない。だから、このランドリーバスケットは小さいお子様のいる若いご夫婦のご家族向けという事になる。
竹を磨く言うのは、アールのついた専用の刃物を使って竹表皮を薄く剥いでいく事だ。青竹の素材そのまま使う竹細工の場合は、竹に元々の個性があって色合いが異なる上にキズやシミなどもあるので竹材を選別する場合がある。ところが竹表皮を剥いでいくと、均一感のある竹ヒゴが取れるから仕上がりの美しい籠を作る事ができるのだ。
しかし、竹を磨く工程は思うより手間がかかるから結構敬遠する職人もいる。今回のように少しまとまった数量の衣装籠となると尚更だ、このような大きさだと延々と真竹の磨きと格闘せねばならない。
ただ苦労して編まれただけの事はあって、磨きの竹細工の出来あがった時の瑞々しい青さは格別である。経年変色も早くて赤茶けた風合いを楽しむ事もできる。
ほんの数年前までは大中小と3個セットで製作していた。丸籠でも角籠でも昔は、お客様の使い道によって数種類のサイズ展開をするのは当たり前だったから3入個や4入個に重ねて店先に並んでいたものだ。
需要の減少と共に、いつの間にか3個セットなど夢のようなお話しになってしまった。沢山の籠を積み上げて運ぶ事も、見る事もできないが、お求めいただく方がいる限りは灯は消したくたいと思っている。
30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」をご購読の皆様だけには、一足先にご覧いただきます特大サイズの御用籠。自分が学生の頃までは竹虎の工場にもリヤカーサイズの御用籠があって、竹の端材などを満載にして焼き場まで二人がかりで運んでいたのを思い出す。けれど、現在ではこのようなビッグサイズは皆無!本当に数十年ぶりに手にした特大サイズに興奮を抑えられない程だ。
どれくらいの大きさなのか分かっていただくために自分で持ってみた。サイズが大きいだけに力竹ももの凄い迫力だ、大きな良質の真竹がないと作る事はできない、底部分の角を直角に曲げているのだが、90度に曲がっている所だけ色合いが違うのがお分かりいただけるだろうか?このような幅広で厚みのある竹材でも熱を加えれば竹は飴細工のように曲がる、そして冷やせはその形で固定されるのだ。
YouTube動画「昭和の御用籠!竹は世につれ、人につれ 竹チューバー竹虎四代目の世界」では、人の暮らしと竹籠のサイズが密接に関係しているお話しをしている。当たり前と言えば、当たり前のお話しだ。
使い込んだ御用籠は仕事の顔をしていて格好がイイ(笑)。ほとんど見かけられない角籠だが、竹工場だけでなく、様々なシーンで用いられてきた。
飴色になった御用籠を眺めていると、背負い籠サイズの角籠に干物や海産物を携えて行商に来られていた、おばちゃんを思い出す。
そういえば、あのような背負い籠もすっかり姿を消してしまって久しいのではないか。竹の旬が良くなれば、定番の御用籠をお願いするタイミングで復刻してみたいと思っています。
青物細工と言って、伐採した真竹の表皮を磨く(剥ぐ)事もなく、油抜き(湯抜き)する事もなく素材そのままに籠や笊に編み込んでいく技法がある。昨日もそんな話をしたばかりだが(笑)、日本の暮らしは竹と共にあり、まさに「一日不可無此君(竹無しでは一日も暮らせない)」だったから農作業、山仕事、海や川の漁、日常生活には様々な竹製品があふれていた。そして、その多くは機能性、実用性が一番、もっと言えば量も必要だから竹表皮が付いたまま加工するのが普通だった。
良くご覧いただきたいのだか今回の青竹手付き収穫籠は、籠全体に青い竹表皮付の竹ヒゴが使われている。竹は竹表皮部分が一番耐久性があって強い、竹表皮を取った内側の竹ヒゴを使う場合もあるので、実は贅沢に竹材を使った籠でもある。
武骨に編んでいく畑で使われる収穫籠と言えども、口巻を見れば職人の腕前がいかほどがすぐに分かる。
更に、この底部分の力竹のあしらいはどうだ。惚れ惚れする、傷むまで使うとなれば何年かかるだろう?
竹の質もいい、やはり竹はイネ科だけあって寒暖の差がある山間部に良質な竹材がある。硬く、粘りがある真竹だけれど、それでも近年は虫に注意していて旬の良い時期の竹しか使わない。だから今の在庫がなくなれば竹を伐って編み始める年末から新春までは手に入らない。
婚礼が決まったら祝儀籠に鯛の尾頭付きを入れて行く、高知県ではそんな昔からの習慣があって竹虎の店頭には、つい最近まで祝儀籠なる縁起物の籠が置かれていた。編まれる職人さんが高齢化したと事もあるが、近年では伝統が途絶えて使われる事がなくなり製作していない。
しかし、そんな祝儀籠を他の地域でも盛んに使っていたのだと知って嬉しくなった。かなり裕福なお家でのものだろうか、普通に見る籠より大きく深さもある。何より虎竹が使われているのが素晴らしい、初めて土地でこうして出会うのだから改めて虎竹は凄い竹だと思う。
赤茶けた籠の方は少し古い染め竹だけど、虎竹の方は比較的新しい作りのものだ。もしかしたら祝儀用として実際に使用された事はないのかも知れないが、この地でも確かにこのような形の竹籠が伝承されてきた証の籠だ。